ゲーム翻訳がひとつのジャンルとして市民権を得てからそれなりに経つと思うが、「ゲーム翻訳を始めてみたい」という初心者がまず何をそろえればいいのか、具体的に書いたブログ記事はまだあまり見ない印象がある。
なのでとりあえず、6年ほど英日ゲーム翻訳者として仕事をしてきた筆者の経験をもとに、ゲーム翻訳に必要な環境について書いてみることにした。本記事は、英日ゲーム翻訳をこれから始めてみたい、仕事にしてみたいという人間が最低限そろえるとよさそうな環境について書いたものだ。
結論から言うと、以下の5つは必須となる。
- パソコン
- ゲームコントローラー
- 辞書環境
- 文法書
- ネット接続
そして、ゲーム翻訳者として仕事をするなら、以下のものがあったほうがいい。
- Excelファイルが扱えるソフト
- 仕事用Steamアカウント
- 仕事用メールアドレス
以下は番外だが、フリーランスとして本格的に仕事をするならあったほうがいいものだ。
- 仕事用クレジットカード
英日ゲーム翻訳をするためにそろえるべきもの
パソコン
本格的に翻訳を行うなら、パソコンは絶対に必要だ。
ゲーム翻訳では、複数のソフトや資料ファイル、ブラウザなどを同時に開き、頻繁に切り替えて作業を行うことになる。スマートフォンやタブレットでは、この「複数ソフトの同時起動、並行表示、頻繁な切り換え」に対応しづらい。
また、ゲーム翻訳の工程には翻訳前のファミリアライズ(実際にゲームをプレイして雰囲気や構造を把握する作業)や、翻訳中の確認作業、翻訳語のLQA(出来上がった翻訳が実装されたゲームをプレイし、問題がないか確認する作業)などで実際にゲームをプレイする機会も多い。どの作業工程でもゲームと同時に他のソフトを開けた方が便利なので、やはりパソコンは必要だ。
そうなると調べておきたくなるのはパソコンのスペックだ。ゲーム翻訳をするなら、ゲームができるスペックのパソコンを持っておくにこしたことはない。特に仕事としてゲーム翻訳をしたい場合、スペックの検討は重要になる。自分のパソコンでプレイできるゲームが多ければ多いほど、受けられる仕事の幅も広がるからだ。またmemoQやTradosなどの翻訳支援ソフトはパソコンにかなり高いスペックを要求する。スペックについて詳しく説明しようとすると長くなるため、そちらは後日別に記事を書く予定だが、筆者が考えるスペックの目安は以下の通りだ。
- CPU:Core i7 2.7GHzと性能が同等か、それ以上のもの
- パソコンの頭脳ともいえる最も重要なパーツ。CPU性能の高さは動作の快適性に直結するため、美麗な3DCGや処理が複雑なシステムが実装されたゲームを快適にプレイしたい場合は高性能なものを選んだほうがいい。基本的には「コア」と呼ばれる演算回路が多いほど処理効率がアップし、パソコンの動作速度が速くなる。
- メモリ:16GB(memoQやTradosを使う場合は32GBも視野に)
- CPUに並び、パソコンの処理速度に大きな影響を与えるパーツ。処理を実行するためのデータを一時的に保存しておくメモ帳のような役割を持っており、メモリ容量が多いほど同時に行える作業の量が増え、速度が上がる。ゲームを快適にプレイするだけなら16GBで十分だが、memoQやTradosなどの翻訳支援ソフトは動かすために必要な最低限のメモリ容量が16GBなので、こういったソフトを動かしつつゲームやブラウザ、他のソフトなどを同時に起動して快適に作業したい場合は、32GBあたりを視野に入れてもいい。
- グラフィックカード:NVIDIA GTX 1650以上
- 画像や動画などのグラフィックを処理するパーツ。ハイクオリティなグラフィックが売りのゲームをプレイする場合には欠かせない。2Dゲームをプレイする場合ならそこまで高性能なグラフィックカードは必要としないことが多いが、3DCGを多用したゲームをプレイする場合はそれなりに高額なものが必要になる。大きく分けてNVIDIA社製品とAMD社製品の2種類があり、一般的にゲームにはNVIDIA社製品のほうが向いているといわれる。
- ストレージ:1TB以上(例:SSD250GB+HDD1TBなど)
- データを長期的に保存しておくためのパーツ。データの読み込み・書き込み速度が速く故障リスクは低いが大容量なものはまだ高額な傾向にあるSSDと、大容量なものでも安価に入手できるが動作が遅めで故障リスクも高いHDDの2種類があり、2つを組み合わせて搭載しているパソコンも販売されている。SSDとHDDの割合は用途によるが、合計で1TB以上あれば問題はないはずだ。
- OS:Windows
- OSとはWindowsやMacOS、Linuxなどの「オペレーティングシステム」のこと。アプリやソフト、ファイルのほか、ハードウェアの効率的な管理をサポートしてくれる。OSが対応していないとプレイできないゲームもあるため、できるだけ多くゲームをプレイしたい場合はWindowsを選ぶのが無難だ。
ちなみに、筆者が現在使用している自機のスペックは以下の通り。
- CPU:Intel(R) Core(TM) i7-9700K CPU @ 3.60GHz
- メモリ:32GB
- グラフィックカード:NVIDIA GeForce RTX 2080
- ストレージ:SSD256GB、HDD2TB(SSDの容量が足りなくなったため、現在増量を検討中)
- OS:Windows 11 Pro
(注:上記はすべて、2022年11月27日現在の情報です)
もっと詳しい情報や最新情報を知りたいという方は、ゲーミングパソコンを扱うオンラインショップなどの解説を探してみるといいだろう。
なおハードルは高くなるが、勉強する意欲があるなら自作パソコンに挑戦してみるのもいいかもしれない。パーツをバラで買ってパソコンを自作することには経理上の利点もある。組み立て済みのパソコンを購入する場合と比べれば30万円以上にはなりにくく、減価償却の対象から外れやすくなるのだ。減価償却しなくてすめば、経費の計上や帳簿の処理がラクになる。
コントローラー
ゲームのLQAを行う場合は必須となる。キーボードで問題なくプレイできたとしても、コントローラーを接続した際に表示されるテキストもチェックしておく必要があるからだ。できればXbox、もしくはPS4のコントローラーを用意し、可能なら両方そろえておくのが望ましい。
辞書環境
絶対に、オンラインの無料辞書だけでまかなおうとしないこと。有料の辞書を、できれば複数手元に持とう。英英辞書であれば無料でもColinsやMerriam-Webster、Longmanなど権威ある辞書が利用できるが、オンラインの無料英日辞書で情報元が確かな辞書は、わずかに2点しかない。高校生向けの学習辞書で十分なので、2冊ほど手元に持っておくと安心だ。
ちなみに、「英辞郎」はあくまで対訳データベースであり、辞書とは違うので注意すること。英辞郎に載っている語を他の辞書やリサーチで裏を取らずにそのまま使うと、深刻な誤訳を作ってしまうこともありうる。
翻訳者の間で言われる格言に「辞書はお金で買える実力」というものがあるが、これはかなり的を得ていると筆者は思っている。辞書の数は、そのまま翻訳に使える語彙の手数になるからだ。基本的に、英語と日本語は一対一で対応していない。goは「行く」以外の意味をたくさん持っているし、atやtoなどの前置詞の場合は日本語に該当する品詞が存在しない。しかも言語は、登場する状況や書き手、読み手の持つ文脈によって意味が変わってくる。だからこそ辞書によって載せている単語の意味は少しずつ異なる。なので単語の意味を言い表す日本語にたくさんアクセスできたほうが、英単語が持つ総合的なイメージをつかみやすくなり、精度が高い訳語を作りやすくなるのではないか、と筆者は考える。
また、類語辞書があると訳語の手数が増やせるため、3千円程度の投資で訳文のクオリティアップが見込める。さらに可能なら、国語辞書も複数そろえるのがおススメだ。英語が読めても日本語を思い通りに書けなければ、いい訳文は作れない。
翻訳に使う辞書に関しては、それについて論じるだけで一冊本が書けるため、そのうちゲーム翻訳者向けの辞書入門記事を書くつもりだ。とりあえず既存のブログでは、禿頭帽子屋の独語妄言 side αの「辞典・事典」タグの記事が参考になる。
書籍であれば、「できる翻訳者になるためにプロフェッショナル4人が本気で教える 翻訳のレッスン」のレッスン3、「辞書を使いこなす」がおすすめだ。
文法書
辞書だけではなく、文法書も必須だ。細かい文法事項や使い分けを調べたい時は、辞書よりも文法書を引いたほうが頼りになる。オンラインの解説が役に立つこともあるが、根拠が弱いもの、裏付けがしっかりしていないものなど玉石混合なので、裏を取って真贋を見極められる自信がついていない段階であれば書籍として出版されているものを使うのがおすすめだ。
勉強のための参考書というよりも、意味が取れない文章構造に出くわしたときに辞書のような使い方をするものだと考えておくといい。
筆者も広く文法書を網羅しているわけではなく、人によってどの文法書が合うかは違うので「これ!」というものはおすすめしづらいが、筆者は旺文社の「表現のための実践ロイヤル英文法」をメインに使用し、補助として金子書房の江川泰一郎著「英文法解説」を使っている。
「表現のための実践ロイヤル英文法」は、ネイティブ話者の言語感覚や微妙な使い分けについてコラムでくわしく解説してくれるほか、書面のレイアウトも見やすいため、個人的には一押しだ。
ネット接続
ゲーム翻訳をする場合、ゲーム本体データのダウンロードや翻訳データのアップロード、Web検索などを高速で行える環境は必須になる。質が高い翻訳を作るには様々な分野にまたがって広範囲にリサーチを行う必要があるので、高速なネット環境で即座にWeb検索ができるかどうかは死活問題になりうる。
仕事としてゲーム翻訳を行う場合は、これに加えて資料データや翻訳データを扱うほか、ネット接続を必要とする翻訳支援ソフトのオンラインライセンスを使うことになる場合もあるため、安定したネット接続環境を整えるのが望ましい。基本的には、100Mbpsぐらい確保できていれば十分なはずだ。
ゲーム翻訳者として仕事をするならあったほうがいいもの
Excelファイルが扱えるソフト
ゲーム翻訳ではExcelで扱う形式のファイルをやりとりする場面が非常に多いため、対応しているソフトウェアの導入は必須となる。
有志翻訳の場合はGoogleスプレッドシートも役に立つが、プロとして仕事をするつもりなら、選択肢はMicrosoftの純正品ほぼ一択だ。GoogleスプレッドシートやLibreoffice、OpenOfficeなどxlsxファイルが扱える無料ソフトは複数あるものの、純正ソフトのExcelの更新にすぐに対応してくれるわけではなかったり、互換性が完全ではなかったりするため、エラーやファイル破損、レイアウトの不具合や文字化けが発生するリスクがある。月々2千円程度の出費を「高い」と思うかどうかは人によるとは思うが、必要な投資の範疇ではないだろうか。
「仕事用」Steamアカウント
仕事としてゲーム翻訳をするなら作っておいたほうがいい。
ゲーム翻訳を行う際はNDA=機密保持契約を結ぶことが多いが、この契約はざっくり言うと「ゲームの内容やリリース関連情報、ローカライズ関連情報を含む機密情報全般を公開してはいけない」というものだ。
翻訳者だと公言しているSteamアカウントでフレンドとつながっている場合は、特に仕事用アカウントを取得したほうがいい。ローカライズの有無が未公開のゲームをプレイしているところをフレンドに見られるとまずいからだ。「このゲーム、まだリリースされてないし日本語対応情報ないけど、その段階で○○さんがプレイしてるってことはキーをもらってるんだな、日本語ローカライズされるんだ」と気づかれ、ネット上で発信されてしまう可能性がないとは言い切れない。
Steamのプライバシー設定を変更してゲームを非表示にすればフレンドに気づかれることはないものの、そうなると手間が増えたり、交流の楽しみが減ったりしてしまうこともあるので、そのあたりが気になる場合は仕事用アカウントの取得をおすすめする。
「仕事用」emailアドレス
仕事のメールは、趣味のメールと混じると分別が面倒になる。また、手違いで趣味のメールを仕事先に、仕事先宛ての機密情報を書いたメールを趣味の相手に送らないとも限らないので、そういったミスを防ぐためにも、仕事用のメールアドレスは取得しておいたほうがいい。
番外:「仕事用」クレジットカード
フリーランスのゲーム翻訳者として仕事をする場合、確定申告を行うことになる。そうすると帳簿をつけることになるが、よほどマメでなければ仕事用にいつどこでいくら使ったか、日常の支出にまぎれてわからなくなってしまいがちだ。必要経費となるものはすべて仕事用クレジットカードで購入するようにすれば、クレジットカードの明細をチェックするだけで、帳簿に記載する必要がある情報がすべてわかる。オンラインの帳簿サービスによってはクレジットカードを提携させることで自動で帳簿をつけてくれるものもあるので、事務作業が苦手な人は検討してみてもいいだろう。
また、memoQなどの有料翻訳支援ソフトの中には、クレジットカードでしか支払いが行えないものもある。将来的に購入することを視野に入れているなら、クレジットカードは作っておいたほうがいいだろう。
あとがき
以上が筆者の考える、2022年11月現在でゲーム翻訳を始めるために必要な環境だ。これはあくまでも、インディーズゲームをメインに手掛けるフリーランス翻訳者としての経験に基づいた必要環境なので、人によって要不要は分かれるかもしれない。参考程度に考えていただければ幸いだ。